« 2008年03月 | << メインページ | 2008年05月 »

教員リレーエッセイ(2)-「行列のできない法律事務所」から-

「行列のできない法律事務所」から


教授 萩原 猛


 新聞・テレビ・雑誌等様々なメディアに弁護士が登場し、法律相談をしているのをしばしば見かける。多くの人々は、それを見て、弁護士に相談すればあんな風に明快な回答が得られ自らの進むべき道が指し示されて、疑問はたちどころに氷解すると思うのだろうか?勿論、弁護士10人に相談すれば、10人が同様の答えを出すような相談も多いだろう。しかし、同業者の回答内容を見聞して、前提がこう変われば正反対の結論になるだろう、随分思い切った断定をするなあ、等々否定的な評価を余儀なくされる場面に出くわすことも少なくない。
 世の中に生起する種々雑多な事象を、法律家は「法」というフィルターを通して再構成する。「法」がフィルターの機能を果たすには「解釈」という作業を施さなければならない。その上、フィルターを通過する「雑多な事象」は、過去の事象であり、「証拠」によってその存在ないし不存在が「証明」されなければ、フィルターを通過したことにはなり得ないという事情がある。このように、世の中の「事実」も「法」も不確定要素に彩られているのである。従って、相談を受けた弁護士が誠実に回答しようと思えば思うほど、その回答は曖昧模糊とした内容とならざるを得ず、相談者には往々にして不満が残る結果となる。
 紛争を抱え藁にもすがりたい人々にとって、その解決の為の明晰な回答が求められているというのは良く分かるが、弁護士人口の少ないこの国では未だ予防法学的発想は世間に浸透していない。弁護士のもとを訪れるのは、紛争が拗れに拗れてからということが結構ある。ただでさえ不確定要素が多いのに、自称「法律に詳しい人」などが介入したりして、太さも長さもバラバラの紐が何重にも絡まりどこをどう引っ張ったら解けるんだと叫びたくなるような状態にしてしまったら、弁護士だって簡単には明晰な回答などできるものではない。
 メディアの法律相談は、限定された時間と空間の中で行われるから事例も単純化されているのが一般である。単純化されているだけに細部の前提事実が幾通りかに分けられる場合が多く、どの事実を前提にするかによってその回答が変わるということがあり得る。また前記したように、「法」の「解釈」が一義的に確定し得ない場合もある。こういった事情を巧みにプロデュースしたのが、島田紳助を司会者とする法律相談のテレビ番組と言えようか?回答者として出演している4人の弁護士の回答が分かれるのである。従来の法律相談番組では考えられなかった構成である。こういう番組が好評を博し、弁護士同士の議論を楽しめる視聴者が増えているということは好ましいことのように思う。紛争の解決を情実ではなく、「法的議論」に委ねようという意識が世間に育まれつつある兆候のように思えるからである。
 好むと好まざるとに関わらず、私達の社会は「法化社会」に向かって歩み出した。裁判員制度も間もなく始まる。市民参加はシステムを変え、先に述べた世間の状況も変わって行くに違いない。法律家だけが変わらないで済む筈はないだろう。

第5回(2008年度)入学式学長告辞


平成20年4月2日


             入学式告辞

大宮法科大学院大学
学長 柏木 俊彦  




 本学に入学されました77名の皆さん、入学おめでとうございます。
皆さんは、法曹となることを目指して、本学に入学されました。本学への入学にあたって、法曹となるためには本学での3年間あるいは4年間、ひたむきに法を学ぶことが必要であることを覚悟していただきたいと思います。過ぎてしまえばあっというまですが、3年間あるいは4年間、といった長期間学び続けることは決して安易な気持ちでできることではありません。そのことを先ず自覚していただきたいと思います。更に、皆さん方のなかには、法をこれから始めて学ぶ方もおられます。それらの方は、法という未知の世界の扉をあけることになります。未知の世界の扉をあけるわけですから長期間学ぶ覚悟とともに、未知の世界に飛び込むという心構えも必要となります。

 法を学ぶためには長期間が必要であるということは、実は、法を学ぶことの本質的な内容であります。多様な利害が絡み合えば絡み合う社会ほど、社会が多様な価値観を重んずれば重んずるほど、法律も多様になり重層的になり、複雑なものになります。一方で、法律全体は、目的や機能の異なる多様なものを極めて秩序だった整合性のある膨大な体系としています。これらの厚い層となった目的や機能の異なる秩序だった多様な法律を学ぶわけですから、3年間あるいは4年間の勉学が最低限必要となるのは当然のことと言えます。ましてや、現在ある法は、直線的ではなくは行的に進んできた歴史の時間軸を辿ることによって始めて理解され得る性格のものでもあります。どうしても、長期の学ぶ期間が必要となります。

 また、法を学ぶことは、理解がなかなか得られないまま何回も法律書の同じ箇所を読んだり、読み易いとは決して言えないいくつもの法律の条文を行きつ戻りつ比較、対象したり、興奮を伴うことの少ない事実を拾いながら判例の変遷の流れを追ったり、といった、地道な、着実な根気のいる作業をこなしていくことが求められます。

 このように、法を学ぶということは、長い期間の勉学を必要とするとともに、地道に着実に根気強く学ぶという過程によって法的思考力を磨くことになります。そのためには、相当の覚悟が必要であることは、これから法を学ぶ皆さんにも十分理解していただけるものと思います。

 法を学ぶことが長期間の勉学と地道な根気強さを求めるということは、法が、天才的なひらめきを要求するものではないことを意味します。法を学ぶことは、ひらめきによって補助線を一本思いつけばあっという間に法的問題が解決できるといった類のものではありません。また、法を学ぶことが長期間の勉学と地道な根気強さを求めるということは、法を学ぶことに近道はないことを意味します。短期間で効率的に法を学ぶことはできないことを意味します。法曹となるためには、決して天才的才能や瞬発力が必要なのではありません。

 更に、法曹となるためには、法律や文献の調査のためにあるいは事実を調べるために図書館等へ足を運び、こまめにメモをとるために手を使うといった手間隙を厭わない努力が必要となります。

 このように、法を学ぶためには、愚直で地道な根気強い長期間の勉学に耐える能力と、手足を使う労を惜しまない努力が必要であることを覚悟することが法曹への道の第一歩であります。
法曹は、法的思考力によって人や組織の悩みや苦境を支える役割を担います。法的思考力によって人を支え、社会を支えるわけですから、法曹を目指す皆さんが法を深く学び法的思考力を鍛え、磨くための努力をするのは当然のことです。鍛え抜かれ、磨かれた法的思考能力が優れた法曹の証しです。そのために、3年間あるいは4年間継続して地道に根気よく学び続けることは不可欠です。

 法科大学院は、法の支配を目指した司法制度改革の重要な構成要素であり、法の質と量は、法を担う法曹の質と量とに依存します。法科大学院で学ぶ皆さんが法を真剣に学ばなければならないことは自明のことであります。この自明さを入学にあたって深く自覚し覚悟することを皆さんにお願いして、私の学長告辞とします。


Copyrights 2006 © OMIYA LAW SCHOOL All rights reserved.