「行列のできない法律事務所」から
教授 萩原 猛
新聞・テレビ・雑誌等様々なメディアに弁護士が登場し、法律相談をしているのをしばしば見かける。多くの人々は、それを見て、弁護士に相談すればあんな風に明快な回答が得られ自らの進むべき道が指し示されて、疑問はたちどころに氷解すると思うのだろうか?勿論、弁護士10人に相談すれば、10人が同様の答えを出すような相談も多いだろう。しかし、同業者の回答内容を見聞して、前提がこう変われば正反対の結論になるだろう、随分思い切った断定をするなあ、等々否定的な評価を余儀なくされる場面に出くわすことも少なくない。
世の中に生起する種々雑多な事象を、法律家は「法」というフィルターを通して再構成する。「法」がフィルターの機能を果たすには「解釈」という作業を施さなければならない。その上、フィルターを通過する「雑多な事象」は、過去の事象であり、「証拠」によってその存在ないし不存在が「証明」されなければ、フィルターを通過したことにはなり得ないという事情がある。このように、世の中の「事実」も「法」も不確定要素に彩られているのである。従って、相談を受けた弁護士が誠実に回答しようと思えば思うほど、その回答は曖昧模糊とした内容とならざるを得ず、相談者には往々にして不満が残る結果となる。
紛争を抱え藁にもすがりたい人々にとって、その解決の為の明晰な回答が求められているというのは良く分かるが、弁護士人口の少ないこの国では未だ予防法学的発想は世間に浸透していない。弁護士のもとを訪れるのは、紛争が拗れに拗れてからということが結構ある。ただでさえ不確定要素が多いのに、自称「法律に詳しい人」などが介入したりして、太さも長さもバラバラの紐が何重にも絡まりどこをどう引っ張ったら解けるんだと叫びたくなるような状態にしてしまったら、弁護士だって簡単には明晰な回答などできるものではない。
メディアの法律相談は、限定された時間と空間の中で行われるから事例も単純化されているのが一般である。単純化されているだけに細部の前提事実が幾通りかに分けられる場合が多く、どの事実を前提にするかによってその回答が変わるということがあり得る。また前記したように、「法」の「解釈」が一義的に確定し得ない場合もある。こういった事情を巧みにプロデュースしたのが、島田紳助を司会者とする法律相談のテレビ番組と言えようか?回答者として出演している4人の弁護士の回答が分かれるのである。従来の法律相談番組では考えられなかった構成である。こういう番組が好評を博し、弁護士同士の議論を楽しめる視聴者が増えているということは好ましいことのように思う。紛争の解決を情実ではなく、「法的議論」に委ねようという意識が世間に育まれつつある兆候のように思えるからである。
好むと好まざるとに関わらず、私達の社会は「法化社会」に向かって歩み出した。裁判員制度も間もなく始まる。市民参加はシステムを変え、先に述べた世間の状況も変わって行くに違いない。法律家だけが変わらないで済む筈はないだろう。

